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世界文化遺産に登録された軍艦島を一目見たいと思っている方も多いと思います。
この記事では軍艦島の歴史や見どころなどを詳しく解説しながら、実際に軍艦島を見に行くための手順を分かり易く紹介しています。
軍艦島の魅力と実際の見に行き方を知ることができるので、参考にしてもらえたら嬉しいです。
今では『軍艦島』と当たり前に呼ばれていますが、本来は長崎県長崎市にある端島(はしま)という名前が正式通称になります。
軍艦島があるのは長崎県。長崎港からクルーズ船で上陸するのですが、港までのアクセス方法を知りたい方はコチラの記事を参考に。➡軍艦島クルーズ船発着場がある長崎港までの行き方を紹介
軍艦島と呼ばれるようになった理由は、岸壁が島全体を囲っている形状と鉄筋コンクリートの高層アパートが立ち並ぶ見た目が軍艦『土佐』に似ているということで名付けられたとされています。
軍艦島は明治時代から昭和時代にかけて海底炭鉱によって栄え、日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅も建造されました。1960年代には東京以上の人口密度を誇り人口5,259人(密度83,500人/平方キロメートル)を記録し、世界一人口密度の高い場所としてギネスブックに登録されています。
しかし、石炭需要の減少や安全面の問題などで1974年(昭和49年)に炭鉱が閉山され、そのあと無人島となってしまいました。
現在も廃墟と化した建物や設備が残されていて歴史や文化を感じることができます。
軍艦島の見どころの一つに当時賑わっていたであろう店舗や住居が間近で見られること、続いては軍艦島にどんな施設があったのかを紹介します。
炭鉱で栄えていた当時軍艦島には様々な施設がありました。島に上陸することができれば直にその様子を見ることができますよ。
【住居棟】
日本最古と言われる鉄筋コンクリート造りのアパートや、鉄筋コンクリートと木造家屋を融合した建物など、当時の日本の最先端技術を用いて造られた数多くの集合住宅がありました。
【炭鉱施設】
海底炭坑への入口や石炭を運搬するためのベルトコンベアなど、石炭を運び出すために多くの炭鉱夫が働いていた設備が今でも残されています。
【生活施設】
小中学校、病院、寺院や旅館、映画館などの娯楽施設や販売店など、島民たちが狭い離島での環境に少しでも快適に暮らすために必要な施設がひしめき合っています
これらの建物や設備は、当時最先端だった技術や文化を反映しており、近代化産業遺産として世界遺産に登録されました3。
軍艦島で暮らしていた人々の生活や暮らしぶりはどんな感じだったのでしょう?
以下のような暮らし・文化があったとされているので紹介しますね。
軍艦島は、2015年に「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録されました。その理由は以下のようなものです。
軍艦島は文化的・歴史的・社会的な価値を持つ世界遺産と言えますね。
ここからは軍艦島の歴史について詳しく解説しています。
江戸時代後期の1810年に軍艦島(端島)で石炭が発見されたことが全ての始まり。
【1890年】
三菱財閥が軍艦島(端島)を買収して炭坑の開発を本格化。
当時石炭は日本の近代化に欠かせないエネルギー源だったため、端島は日本の発展に大きく貢献しました。
【1916年】
海底炭坑として開発。
日本初となる海底掘削技術が導入され、深さ1,000m以上の地下からでも石炭を採掘することが可能に。
端島は6.3ヘクタールという狭い島だったものの、人口や採掘量の増加に伴って住居や施設が次々に建設されていきました。
【1916年】
日本初の鉄筋コンクリート造りの高層集合住宅『共同宿舎』が建てられる。
当時、東京で最も高い9階建てのビルとして知られていました。
そのほか学校や郵便局、映画館などの施設がどんどん整備されていた時期になります。
軍艦島(端島)は昭和30年代まで日本有数の産業都市として繁栄していました。
【1960年】
人口5259人(密度83,500人/平方キロメートル)を記録。世界一人口密度の高い場所としてギネスブックに登録。
その後、エネルギー革命が起こり主要エネルギーが石炭から石油へと移ることで石炭の使用量が減少。
結果として軍艦島の採算性が悪化し1972年には採掘を終了しました。国のエネルギー政策や採掘現場の遠隔化なども影響したと言われています。
1974年1月15日に軍艦島は閉山。同年4月20日には約2,000人いた島民が全員島を離れ軍艦島は無人島となりました。
無人島となってしまった軍艦島ですが2009年には一般公開され観光客やメディアの注目を集めるようになりました。
その特異な景観や歴史的価値から『日本のマチュピチュ』と呼ばれ、2015年には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一つとして端島が世界文化遺産に登録されました。
まずは無事に軍艦島に上陸できたことに安心しました(笑)
というのも、軍艦島に上陸するためには長崎市で定めている気象条件などの規定をクリアしなければいけません。
一見穏やかそうに見える波高でも、数センチ波が高いだけで上陸できずに『周遊クルージング』のみになってしまうケースも意外と多いそうです。
無事に上陸してからは、炭坑で栄え多くの人々が過ごしていた島内を見て回りましたが、こんな海のど真ん中の小さい島で暮らしていたと思うとただただ驚きでした。
ツアーの解説も分かり易くて良い学びになりました。なかなか見ることのできない景色に感動すら覚えました。
興味があればぜひ足を運んでみて下さいね。
軍艦島を観光するまでの流れについては、以下のような手順があります。
軍艦島への船は長崎港から出港します。
長崎港は長崎市内から路面電車やバスでのアクセスも可能です。
軍艦島のそばまで船が近づけても『ドルフィン桟橋』と呼ばれる軍艦島唯一の船着き場に着岸できなければ上陸することはできません。
天候が悪かったり波が高い状況の場合は上陸許可が下りず、船から軍艦島を見る周遊クルーズに変更する可能性もあります。
➡上陸できない場合のクルーズ船の対応についてはコチラで詳しく紹介しています
上陸後はツアーガイドの案内に沿って説明を聞きながら、軍艦島の歴史や廃墟と化した建物や炭坑施設などをみることができます。
見学後は長崎港へ戻り、帰港後ツアー終了となります。
おおよその時間配分をまとめておきますね。
長崎港から軍艦島まで…片道40~50分
軍艦島の見学…約45分程度
軍艦島から長崎港まで…片道40~50分
このほか、離岸・着岸などの時間を加味すると軍艦島ツアー全体にかかる時間は2時間半~3時間程度と見ておけば大丈夫です。
軍艦島に行くためのクルーズ船はいくつかありますが、その中で安く行くことのできる方法を下の記事でまとめているのでぜひ参考にして下さい。
今回は軍艦島の歴史や見どころポイントなどについて紹介しました。
今は何もない廃墟の島ですが、実際に行ってみると当時の人々の生活や歴史を感じることができるので、興味のある方はぜひ足を運んでほしいです。
歴史などに興味が無くても、軍艦島やクルーズ船から見える景色は最高に綺麗です!
この記事が旅行プランを立てるお役に立てれば嬉しいです。
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